薬学生あるある

薬学部留年を機に退学を決意 別の道に

薬学部 留年
希望に燃えて薬学部に入学したはずなのに、なかなかうまくいかないことが多いのも薬学部。勉強をがんばろうというやる気はあっても、どうしてもついていけず脱落してしまうケースも多々あります。

そんな中、留年してしまうと、よけいに支払わなければならない授業料は私立で1年分約200万と高額です。留年と卒業延期を繰り返し、莫大な授業料を親から支払ってもらいながら、けっきょくは卒業できない、当然のことながら薬剤師免許も取得できない学生はかなりの数にのぼるようです。

また、卒業はできても薬剤師国家試験に合格できず、予備校通いが続くケースも。予備校費用もばかになりません。

留年が決定的になった時点で、現実を冷静に見つめ、別の道を模索する学生もいます。

勉強をがんばっていたのに留年が決定的に! さぁどうする!?

現在28歳の会社員です。
私が入学したのは昭和大学という関東にある大学です。医療系の三つを目指す学生にとってはそこそこ名前が知られた大学です。偏差値も約50後半と、一般大学で言うと青山学院大学や明治大学当たりに該当すると思います。

そもそも薬学部を目指したのは一定の需要があり、安定した職が得られる可能性が高いと感じていた為です。

ギリギリラインでの大学合格

高校でも理数系を専攻していたため、薬学部を目指す友人も多くいました。入試については何とか合格することが出来たものの、回答速報を見る限りギリギリのラインで合格したような感じでした。

薬学部は6年制ですから通常より学費もかかり、社会に出る時期も他の人より遅くなります。親にも大きな負担をかけることになります。大きな覚悟を持って薬学部への入学を決めました。何としても優秀な成績で卒業しようと心に決めていました。留年なんてもってのほかです。

必死で勉強

昭和大学薬学部は入学から1年は全寮制となっており、実家を離れての生活となりました。そこで友人と切磋琢磨し勉強をしていくというのが目的ですが、ギリギリ合格だった私はそこで周りのレベル(学力)の高さに愕然としました。皆入学前から自習をしたり、毎日の授業を夜中まで復習したりと、惰性で学生生活を送っている雰囲気は皆無でした。同時に講義内での課題も山のように出され、全く余裕のない毎日になりました。

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そんな中私はどんどん周りから差を開けられ、授業にはすぐについていけなくなりました。友人もそんな私を見かねて、毎晩自分の勉強もある中で教えてくれたりととても親切にしてくれました。2年に進級する試験ではそのおかげで何とか合格することが出来ました。

2年生になると講義内容もより難しく、課題も増えていきました。一人一人が必死で、1年のときのように友人が手取り足取り教えてくれる状況ではありませんでした。もちろん私も周りに頼ることなく、極力自分でクリアしようと努力はしていたつもりです。

がんばったつもりなのに留年が決定!

3年目に進級する試験で、初めて落第となり、留年が決定しました。両親にそのことを報告するととても怒られました。確かに両親からしたら学費もかかり、タダでさえ長い6年という期間がさらに延長することで、不満も多かったと思います。その時は両親に迷惑をかけてしまった申し訳なさでいっぱいになったのと同時に、同学年で10%が留年した中に自分が入ってしまった不甲斐なさで悔しい気持ちでいっぱいでした。

友人は皆「次は大丈夫」と励ましてくれました。
しかしその時点で私は今後もこの状況で続けていく自信が無くなっていました。繰り返しになりますが、私は勉強をさぼってきたわけではありません。努力をしたつもりなのに、この結果です。実力が足りないということです。

冷静に状況と自分の力を判断 別の道に進むことを決める

今思えば本当に情けない話ですが、今後4年間を考えたときのリスクを冷静に考えると、早い段階で別の道を選択することが最善の道だと考えるようになり、進級の再試験を前に退学することに決めました。ですのでもちろんのこと薬剤師免許の取得はできませんでした。

その後他の大学に進学し、一般企業に就職することになりました。
当時の友人とは今でも連絡を取りますが、同期の約30%の人間が途中で道を諦めるか、試験不合格となっている状況だということです。今思い返せば早いタイミングで進路を変更できたことに後悔はなく、今では満ち足りた生活を送ることができています。

体験談① →薬学部を甘くみた1年生のころの失敗
体験談② →2年次の勉強のきつさをクリアできず留年
体験談③ →薬学宇留年を機に退学を決意 別の道に

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